青春の一部。

10月7日(月曜日)

仕事を終えて帰宅して久々に自炊をした。BGMはFILE-UNDERで買ったGOTOUとpenis boys/classroomのsplit tape。split tapeしばらく笑ってしまった。休日に米1合分だけ炊けるマグカップみたいなものをダイソーで買ったので早速使ってみる。イマイチ単位は苦手だ。「cc」だったり「ml」だったり「合」だったり、統一してくれよって常々思う。そんなもんだからおそらく分量を間違えてしまいかなり固めなご飯となってしまった。帰りしなにスーパーで買ったチキン南蛮とレトルトの野菜スープをおかずに夕食を済ます。固めのご飯となったけど、自らの手で作るといつもより美味に感じる。食は生きていく中でとても大事なことだ。だいたい「めんどくさい」とテキトーに済ましてしまいがちだが、これを機にたまには自分で作らないといけないなと思った。

何気なくTwitterを見ていたら地元の岡崎CAM HALLが閉店するという発表をしていた。高校1年生の頃に友達の友達のバンドのライヴを観に行って、それからしばらくした高校2年生になってすぐの2007年5月13日に初めてライヴハウスでライヴをした。中学生の頃は友達の家で練習したり学校の音楽室を少し借りて練習したり文化祭で体育館でやったり、その程度だったので高校生になって初めて憧れのステージに立てて凄く嬉しかったのを覚えている。ライヴ後にメンバーと行ったびっくりドンキーの味はマジで最高だった。そんなこんなでそれからはずっとCAM HALLに入り浸る。暇さえあればCAM HALLに行っては音楽談義やら雑談を繰り広げる。その内容は今となっては意味のないものだったかもしれないなと思うけど、友達であってライバルみたいなそういう感覚を覚えたし、そういった部分は本当にめちゃくちゃ良い経験だった。たまたま同い年のバンドがそこそこいたし、同い年の人らはしょっちゅうたむろしていたのでスタッフの人らや先輩らにも何かと可愛がって貰えてた世代だと自負している。良くも悪くも「バンドとはなんぞや」と教えてくれたのはCAM HALLだし、挨拶とかに関しては多分かなり影響を受けてると思う。(仕事しだして思ったのは、意外と皆「こんにちは〜」って挨拶するんだなと。最初違和感を感じた。未だにその辺は抜けていない。)田舎が故にヤンキー文化も抜けてないのかそういうところにめちゃくちゃ厳しかった。「あいつ挨拶ねぇなぁ」みたいな。そこまでやるのはマジでくだらないけど、やっぱり挨拶は大事だよなぁなんて今でも思うわけです。

なんだかんだ言っていつでも見れて、身近にいる地元のバンドにはかなり影響受けるわけです。ピストン伯爵とかアクセル青春は当時めちゃくちゃ影響を受けたなぁ。どちらのバンドの当時の音源未だに聴くけどやっぱりかっこいいもんな。ピストン伯爵の2人が始めたバンドにも後に入ってベースを弾くことができてそれも凄く嬉しかった。高速道路をひたすら走ってハイエースでの札幌、仙台、東京、大阪、岡山、福岡遠征は今もなお記憶に新しい。2011年11月20日竹原ピストルとのツーマンライヴをしたのもこのバンドでCAM HALLだったし、2015年11月21日には初めて県外のバンドを岡崎に呼ぼうとピアノガールとsewiを呼んだのもCAM HALLだ。それからはずっとライヴしてないけど、閉店すると聞くと凄く寂しい。20代になってからは違うけど、10代の頃は本当にそこが全てだった。母親もどこかからこの閉店の話を知ったらしく「青春の一部だよね」って連絡がきた。母親も知ってるくらいって相当なことだと思う。

何もかもずっと続くと思いがちだけど、当たり前のように終わりは来てしまって、寂しい思いをする人や「ざまぁみろ」なんてへらへら笑うひともいるんだろう。この寂しい気持ちを誰かに押し付ける気はさらさらないし、だからと言ってどうこうってことはないけど、10代の高校生という多感な時期の大半を過ごした場所が無くなるこの気持ちは経験したことがない。純粋に「寂しい」って思いが多いのかなぁ。

田舎での経営って難しいものがあるのかなぁ。正直裏事情はわからない。「田舎だけどライヴハウスがある」っていう強みは今年一杯で無くなってしまう。JAZZに乗っ取られるのだけはごめんだな。今月10月20日の岡崎ボッパーズでのライヴが余計に気合いが入る。たまたま生まれただけの街だけど、やっぱり岡崎が好きなんだな。

まだCAM HALL自体は終わっていない。終わるのは年末。特に今のところ行く予定はないけど、絶対に行こうと思っている。何も予定なくてもあの時のようにふらっと行こう。求めているものがあるかはわからないけど、そこには僕らの青春の一部がきっとあるはず。

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